朝鮮による拉致被害者、田口八重子さん(行方不明時22歳)が家族の前から姿を消して約30年。その後の田口さんを知る金賢姫(キムヒョンヒ)元死刑囚(47)と、家族との面会が11日、ようやく韓国・釜山で実現した。金元死刑囚は田口さんの長男、飯塚耕一郎さん(32)に「大きくなったね」と日本語で語りかけ、田口さんの兄で拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さん(70)は「歴史的な感激の日」と話した。
午前11時、韓国・釜山の国際展示・会議場「釜山展示コンベンションセンター」の2階ホールには、スーツ姿の繁雄さんと耕一郎さんが先に姿を現した。続いて、黒い服の金元死刑囚が入ると、お互いに頭を下げ、繁雄さんと両手で握手を交わし、耕一郎さんと握手した後、「抱いてもいいですか」と日本語で語りかけ、しっかりと抱き合った。
金元死刑囚は耕一郎さんに「大きくなったね」「お母さんに似ている。もっと早く会いたかった」などと言いながら涙声になった。さらに「お母さんは生きていますよ。こういう(再会の)日がきっとあると思います。希望を持ってね」と語りかけた。
繁雄さんは金元死刑囚に、自身の著書や「李恩恵が好きだった」(金元死刑囚の著書)とされる沢田研二のベストアルバムなど音楽CD、お菓子や女性もののハンカチなどを贈った。その後、3人だけで話をするため別室に移った。
面会後、3人は共同で記者会見し、繁雄さんは「今日は本当に歴史的な感激の日。お礼を申し上げたい」。耕一郎さんは「5年越しの念願がかない、感謝してもし尽くせない。私の母である田口八重子さんに関し『生きている』と証言して頂いた。金さんは『私が韓国のお母さんになります』と言ってくれた」と述べた。
金元死刑囚は「(耕一郎さんは)お母さん似でハンサムで、お母さんの姿が見え隠れした。この場所に田口さんがいたら、どんなに良かったか」と話したが、耕一郎さんからの手紙については「受け取ることができなかった」と明かした。
また、田口さんについて金元死刑囚は「87年1~10月、北朝鮮の招待所で生活しながら聞いた話では、田口さんは連れ去られたが、場所は特定できない。86年ごろに結婚させるという話があったようだ。ただ、結婚について聞いたことがない」と話した。
◇田口八重子さん
田口八重子さんは、日朝実務者協議などでの北朝鮮側の説明によると、工作員が「(宮崎県の)青島海岸まで行こう」と誘い出し、拉致したとされる。田口さんは平壌市内や郊外の招待所で生活。84年10月、拉致被害者の原敕晁(ただあき)さん(行方不明時43歳)と結婚し、原さんが86年7月19日に病死して間もなく同月30日に交通事故で死亡したとされる。遺体は95年に豪雨で流失したなどと説明されている。
一方、金賢姫元死刑囚に日本語を教えたとされる「李恩恵(リ・ウネ)」について警察庁は91年、田口さんと断定し、02年に帰国した拉致被害者で田口さんと一時期同居していた地村富貴恵さん(53)も「オッカ(金元死刑囚の偽名)という工作員に日本語を教えたと田口さんに聞いた」としているが、北朝鮮は04年の実務者協議で全面否定。富貴恵さんは田口さんの結婚相手についても「韓国人男性と結婚したと聞いた」と日本政府に話しており、政府は北朝鮮側の説明の信ぴょう性を疑問視している。
◇金賢姫元死刑囚
金賢姫元死刑囚は87年11月に乗員乗客115人が犠牲になった大韓航空機爆破事件の実行犯で、拘束された際に日本人「蜂谷真由美」名義の偽造旅券を所持していた。
ソウル地裁は89年4月、金元死刑囚に死刑判決を言い渡し、2、3審でも死刑判決が支持され、90年3月に確定した。だが、韓国政府はその1カ月後に特別赦免を行った。
昨年11月には北朝鮮の民主化を求める韓国の団体代表に送った手紙が公開され、田口さんについて「『幼い2人の子に会いたい』と泣きながら嘆いていた姿が目に浮かぶ」などとつづっていた。また、飯塚耕一郎さんについても「『お母さんの話を聞きたい』と言っていたが、そうできないのが切なかった」などと記していた。
2009年3月11日水曜日
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